死んでしまいたい…どうすればいいの?

悲しい

人は人を知らず知らずのうちに、自分の都合のいいように人を「操作」してしまうことがあります。大人同士ならば「やだ!」と言ったり、そっと距離を置いたり、うまく操作されないようにすることで回避することもできます。もしかしたら、生活のほとんどがそんなことの繰り返しかもしれません。

一番どうにもならないのが、「親子関係」です。先に言ってしまうと「親子も家族も個人個人は他人」ですから、うまく操作されないようにすることが大事だし、親子や家族なら意識的にそうしないようにお互いを支えあることが大事なのだと思います。「意識的に」です。
「大人が言うことよりも子供の言うことの方が正しい」なんていう話をする方がいます。これは、間違っていないのかもしれないけれど極端な感じがしますが、そもそも大人がとか子供がとか言うことで、どっちの方が正しいのか、とか意識が間違った方向に行ってしまいがちです。
「子供は親がいなければ生きていけないではないか」ということと「親の言うことを聞きなさい」とは別だけど、この辺で親が子供を都合のいいように操作してしまうことが多いのではないかと思います。

自分の子供が「死んでしまいたい」と言ったらあなたはどうしますか?
死なないように監視したり、病院に連れて行ったり、薬をのませたり・・・そのすべてが「操作」です。

「死にたいくらい(さみしい)」
「死にたいくらい(うるさい)」
「死にたいくらい(ほっといてほしい)」
「死にたいくらい(共感してほしい)」
「死にたいくらい(何もしたくない)」

死=動けなくなってしまう状態です。

「もぅ 動けないんだよ・・」

そぅシンプルに考えると、誰かが何かが操作するのではなく、動けるようになるまで休むことができるのではないでしょうか。動けるようになるためにはどうしたらよいかは、本人しかわからないのですから。